10周年、リーマンショックを振り返る。

今から遡ること十年、2008年は寺田心くんの生まれた年。HIPHOP界隈では蟹江さん全盛期だったろうか、そして懐かしい『ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)』。スマホはないし、Amazonはただのネット書店、Facebookよりmixiかモバゲー、GoogleよりYahoo!!なそんな時代。

その年の9月15日、投資銀行 リーマン・ブラザーズ ホールディングス破綻。これを機に起こる世界恐慌をリーマンショックと呼ぶ。英語でthe financial crisis 2008。

きっかけは2007年の住宅バブル崩壊によるサブプライム危機(subprime mortgage crisis)を中心とする各種関連債権など証券の資産価値の暴落。当時のアメリカでは住宅ローンの証券化が普及しており、それを組み込んだ複雑な金融商品が数多く存在した。

複雑な金融商品=身入りの良い手数料収入、ということ。

2011年11月に42億ドルの負債を抱えて破産したアラバマ州ジェファーソン郡、そのうち31.4億ドルは下水道大規模改修事業で、これも複雑に証券化して不良債権が世界にばら撒かれることになる。

ちなみにサブプライムとはsub-prime、優良顧客であるprime(プライム層)に次ぐ層であって、準優良顧客と言うよりはむしろ要注意顧客、通常のローン審査に通らない層を対象にするローン。所得の半分以上が借入であるとか、一か月以上の返済遅延が過去一年に二回以上とか、過去5年以内に破産しているとか、普通に考えて色々アウトな客層。

住宅価格相場は上がってるし、返せなくなっても家は担保に取ってあるから回収は余裕っしょ、債務者が首回らくなっても首括ってもシラネ…という銀行の理屈。日本の銀行もそれに心を痛めた良心的な行員から去っていくというのはよく聞く話。

対象は自動車なども含め、必ずしも住宅に限らない。回収リスクが高いほどに利率は高くなるものの、初期の支払額を軽減するなど、一定期間経過後に支払額が急増するシステムで、普通に考えて返済が焦げ付くのは明白。更に住宅が供給過剰になれば相場が下がるのも明白のチキンレース、頭の良い銀行はそこも織り込んだ上で早々に勝ち逃げ。

2007年の住宅市場の悪化によって先に危篤となった住宅抵当公庫のファニー・メイやフレディ・マックが政府によって先に延命措置を受け、リーマン・ブラザーズが危篤となった時には既に延命措置の余裕もない。米国内の金融機関は皆同じ焼け野原、日本始め国外の金融機関もあまりに巨額かつ不透明な損失に買収には二の足を踏んだことから破産に至る。

 

そして世界的な経済危機。

ドル円相場、USD/JPYは2007年6月22日で124.13円、破綻の9月15日には104.65円を記録、そして2008年12月17日には87.13円という荒れ模様…

日経平均株価も破綻翌日9月16日には約12,000円から11,600円に大暴落、10月6日に10,000円を割り込み、10月28日には7000円を割って最安値を記録。再び日経平均が10,000円のボーダーを超えるのは2009年6月のこと。

 

余談だが当時の筆者は日雇い労働者、大田区の港湾で荷役という仕事をしていた。実話〇ックルズの893漫画で大親分が若い頃にやっていた仕事ランキング1位、多分。冷蔵倉庫で行われた200人くらいの忘年会にて、ビンゴの景品にあった劇場版「sex and the city」ペアチケットを発表する際の司会のおっさんのしどろもどろな戸惑い具合が今でも忘れられない。

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