「ビットコインには根元的価値がない」
昨年末から今年の暴落にかけて既存金融界のお偉いさん達が口々に言っていたこと。
While Jamie Dimon Calls Bitcoin a “Fraud”, JPMorgan is Busted For Money Laundering https://t.co/WbOXMqSVJQ pic.twitter.com/S20nJZOH2F
— BitcoinNews (@BitcoinBtcNews) September 2, 2018
田舎の地銀や信金の支店長クラスならいざ知らず、従業員何百人何千人の命運を背負う経営者がもし本気でそんな認識なら如何なものかとは思っていたけれども、世界を股に駆けるグローバル金融のトップランナーはその言葉の裏でビットコインを買い進めていたというのは後になって明らかになった話。
そもそもで価値というものは需要と供給、そして希少性で決まるものであって、根本的には共通認識とか共同幻想というものに支えられている。例えばいくら希少でもいらないものはいらない、いくら周囲の多くの人が欲しがってもいらないという人にはやはりいらない。
通貨や国債はその価値を、国の「信用」という得体の知れないものにのみ依存している。昔であれば国の金庫にある金の保有量によって価値を裏付けられていたものが、その制度、金本位性の廃止によって今では価値を担保するものはない。つまり共同幻想。
日本円を日常的に使う日本人にはピンと来ないかも知れないが、ここ最近のトルコリラやアルゼンチンペソの大暴落を見れば少しは感覚がわかるだろうか、去年100円で買えた水が今年は150円という世界もあり得る世界。
では企業の価値を示す株価はどんな時に上がるのか。
買いたい人が売りたい人より多ければ株価は上がる。正確には売られる数より買われる数が多ければ上がる、当然。
ではどんな時に買われるのか、株価が上がると思われる時である。
残念ながら業績や企業価値や理論値ではない、少なくともそれらは株価に直結はしない。 割安のまま放置され続ける株はあるし、そこで買いたい人が多くいれば、つまり買い注文が多く入れば株価は上がる。
株価は美人投票、とはよく言ったもの。つまりはこれも共同幻想に近い理屈で動く。
では仮想通貨は…?
正直言うとこれも共同幻想のようなもの。年末参入組の中には何も考えていなかった人もあろうが、ブロックチェーンやフィンテックという新しい技術がもたらす未来、未だ来ざる世界に対する共同幻想。未だ来たらざるゆえに幻想ではあるが、しかし着実にその未来へは進んでいるのも確かなこと。そしてAIやVRとは異なって、SFですらほとんど誰も想像しえなかった世界。
この共同幻想による実体化、実は神仏や霊的な世界と共通するようだ。
私は神主でも坊主でも霊媒師でもないし、見えるわけでもない。ただたまに感じる程度、神社や寺で不思議な体験をしたことがある程度でしかない。なのでここから先は素人の寄せ集めの知識を基にした推測を含む文章となることをご了承願いたい。
神仏や霊的な世界、大元を辿って埋葬の習慣があったとされるネアンデルタール人まで遡ることができるかは定かではないが、人々の概念が「具現化」したものとして説明されることがよくある。物質的なものでもなしに具現化というのは不思議だが、そこはさておいて頂きたい。
つまりはそれを信ずる人がいて、その概念が、個人的な念の量×人数の総和、ということらしい。つまり10人の集団がいるとして、8+5+6+7+4+…的な。それが例えば誰か豪族のご先祖=氏神であったり、パワースポットの人格化なり神格化であったり、信仰対象本来の力に対して信者の念の総和が加算されるということらしい。逆に実体のなかった噂話のような妖怪や学校の怪談のような都市伝説でも、その存在が強く広く信じられ、多くの人に認識が共有されることによって「実体化」することはあるらしい。つまり枯れ尾花が幽霊となるパターン。
これ、そのまま仮想通貨にも当てはまるのではないだろうか。
年始の時点で100を優に越える仮想通貨の数々…しかし独自に個別の優位性があった銘柄は少ない。
ここで話を戻して、時価総額を神格、コミュニティを信者数、技術的優位性を神通力か専門性か何かとして、捉え直すことができる。
記紀は勿論、山岳に島などの自然造形物、君主に公共の功労者、数々の御仏…八百万の神々がおはす日本。
時価総額不動のトップであるビットコインは最高神格である天照大神か。技術も実用も試験段階の試験段階である現状では多分イザナギ・イザナミ。開発者であるサトシナカモト氏が国生み神生みを命じた天御中主といったところ、多分。
スマートコントラクトのイーサリアムもそのプラットホームでアルトコインを生みまくっている。
2ちゃんコミュニティから出て熱狂的な信者に支えられたモナコインなんてのは江戸市中に大量発生した出所不明な民間信仰のお稲荷さんみたいなものだろうか。
いずれにしても最初は全うな信者に支えられていたものが、即効性の「御利益」ばかり求める不心得者がイナゴの如く群がったせいで神通力が弱まってしまっている気がしてならない。